【硬いモノ】ハクキンカイロ

ハクキンカイロ(ジッポー・ハンディウォーマー)

ハクキンカイロ 価格1,300円 (ハクキンカイロA 1991年当時の価格)

【 南極観測隊員の携行品として一躍国民的商品に 海外ではピーコックブランドとして知られる 】
 冬季のアウトドアスポーツや戸外での作業などにカイロは幅広く使われている。使い方は千差万別、使う人も老若男女を問わないが、間に見えるところで使うグッズではないから知られることが少ないだけだ。当接は簡便な使いすてタイプも種々出廻っているが、本物といえば、『ハクキンカイロ』にとどめをさす。暖かさ、持続時間、使い心地などの性能においてこれを上まわるものは今もって他にないのである。
 ハクキンカイロは、ハクキンの創業者にして初代社長の的場仁市が、白金属の触媒作用による酸化反応熱原理を発熱器に利用する特許を取得し、実用化したのがはじまりである。的場仁市は進取の気象に富む人物で、多くの新製品を世に送り出していたが、その精神と努力がハクキンカイロとなって結実したのである。1923年(大正12年)、的場仁市はこれの製造販売を目的として、大阪市西区に矢満登商会を設立する。当初は、カイロの生命というべき発熱体(白金触媒)を自社で製造。わずか2~3名の従業員で家内工業的に製品の組み立てから包装仕上げまで行っていた。しかし一方の販路開拡は難行した。社長自ら医療品問屋や百貨店の仕入部に通い、売り込みをはかるとともに、街頭や夜店に並んで実験宣伝販売などのキャンペーンを精力的に行った。だが2~3年の間は売れず苦難の連続であった。
 昭和に入り大手百貨店の薬品部で販売を引き受けてくれるようになるとともに、地道な宣伝活動の効果も現れるようになり、販売成績も向上し始めたのである。ちなみにその頃の価格は1個5円。当時の中堅サラリーマンの給料が50~60円というから相当高価な商品だったのである。こうした上昇期にあっても、品質向上、改良、増産態勢の整備など将来へ向けた技術革新、販路の拡張は続けられ、ハクキンカイロの名は戦前すでに全国に知られるようになっていた。
 戦後、生産・販売を再開し、販売数が上がると輸出分野でも順調に伸び、1962年には南極観測隊でも使われ国民的商品となった。その後もハクキンカイロの技術を応用した新しい商品を次々と生み出し、今日に至っている。

今井今朝春、「世界の傑作品」、モノ・マガジン、第10巻第20号(通巻200号)、1992年10月2日、140ページ


2011年、現在でもハクキンカイロはほとんど変わずに販売されている。
値段は白金触媒の高騰化があるのか1992年の1,300円から3,150円(ハッキンカイロ PEACOCK)と2倍以上高くなっている。

現代では、使い捨てカイロに加え、レンジで温めるカイロ、エコカイロと呼ばれるカイロ、またエネループなどの電池を使う充電式カイロなど様々なカイロが開発され販売されている。

ハッキンカイロは、火を使って触媒を反応させるが、実際に火が燃えるのではなく、気化したベンジンがプラチナ触媒の酸化作用により発熱する原理だ。使い捨てカイロの約13倍の熱量をもちながら、機種により差はあるがおよそ燃料1ccで、表面温度60℃の状態を約1~2時間保持可能とのことで、商品によっては24~30時間も温めることができる。

使い捨てカイロは手軽だが使い捨てでエコでは無いし、レンジで温めるタイプは30分程度しか温まらない、エコカイロも1時間程度しか発熱しないので実用性は乏しい。

ハッキンカイロはベンジン(オイル)を継ぎ足せば繰り返し使えるし、充電する時間なども必要ないから、現代の様々なカイロと比べても、発熱量、継続利用時間など、まだまだ高機能なカイロといえるだろう。
ただ、火を使うことから子供に使わせるのは少々危険かもしれないし、ライターと同じ扱いなので航空機に載せられないなどの欠点もある。

ちなみに、ジッポーブランドのハンディウォーマーもハッキンカイロのOEM商品である。
化石燃料(ベンジン)を使うハッキンカイロと電気で動く充電式カイロのどちらが本当にエコなのかはわからないが、デジタルに囲まれた現代に、90年も前に原型が作られたカイロで暖を取るのも中々オツかもしれない。

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