カップヌードル Cup-Noodle

カップヌードル

カップヌードル Cup-Noodle (レギュラー) 日清食品 価格155円 (1991年当時の価格)

【 20年間変わらぬ個食の王者、カップヌードル カップの中には日本人の郷愁が詰まっている 】
若者を中心に、日本人の食文化に大改革をもたらした「カップヌードル」。片手で持てるおしゃれなパッケージ入りでいつでもどこでも手軽に食べられる画期的な食品は、今やすっかり人々の生活に定着している。アメリカからファーストフードが次々と上陸し、若者たちが自由なライフスタイルを提唱していた1971年、日清食品からカップヌードルが発売された。銀座の歩行者天国での販促デモには、長髪でベルボトム、ミニスカートにロンドンブーツといった若者たちが殺到。湯気のたつカップヌードルを歩きながら食べる姿は道往く人々の注目を集め大ヒット商品となった。それまでインスタントラーメンのイメージは、学生や独身者が下宿ですする貧しく暗いものであったが、プラスチィックフォークで食べるファッショナブルなスタイルのおかげで、カップヌードルは明るくおしゃれなイメージの獲得に成功する。しかし、カップヌードルの新しさは表面的なことばかりではない。
まず包装・調理器・食器の三機能をあわせ持ち、保温・衛生・地球環境面の点にもすぐれた発泡スチロール製のカップを採用したこと。中間保持構造に基づく宙吊り麺は、麺の湯もどりを早め上部の具材が下に落ちないように上下の密度が変えられていること。新鮮な具材をフリーズドライ製法で乾燥させ、保存料や合成着色料などは一切使用していないといった、科学的工夫の集大成なのである。インスタントラーメンの生みの親である日清食品会長の安藤百福氏が「西洋人はハシとドンブリで食事をしない」ことに着目し、国際市場への進出を目指して七転八倒しながら考案したカップヌードルは、翌1972年のロサンゼルス工場建設を皮切りに、アメリカをはじめとする世界のファーストフードへの道を歩むことになった。現在では国内の年間5億食に対して、海外で約2億食の市場を獲得するまでに成長した。センセーショナルな誕生から20年、常に新製品ひしめく、過当競争の中にあって、内容からパッケージまで発売当時のスタイルを守り続ける。個食化が進む食文化の中で、これほど日本人の郷愁を誘う食品もないだろう。今や”日本の味”といっても過言ではない。

今井今朝春、「世界の傑作品」、モノ・マガジン、第10巻第20号(通巻200号)、1992年10月2日、65ページ


2010年現在、カップヌードルは小改良を加えながらも、当時のままの味を守りながら多くの人々に食べられている。

1990年のメーカー希望小売価格の改定以来、厳しい環境の中、コストアップを抑える努力を続け、価格の維持に努めてきたが、企業努力は限界に近づき、2008年出荷分から155円→170円(レギュラーサイズ)と価格改定された。

コカ・コーラもそうだが、ここ20年間では飲食品の値段はそう変わっていないといえる。

しょうゆ味の元祖カップヌードルは、2009年に大型の本格角切りチャーシューを入れたりマイナーチェンジしているが、人気第2位のカレー味やシーフード味を筆頭に様々な味のバリエーションがあって、サイズも「ビック」「ミニ」があり、カロリー控えめの「ライト」、再利用可能な容器を用いた「リフィル」、電子レンジで調理する「マイ・レンジタイム」を発売するなど、改良と進化は進んでいる。

昔、トリビアの泉というテレビ番組で、「トリビアの種中国の宮廷料理人が一番美味しいと思うカップラーメンは?というものがあった。
2004年当時カップラーメンは年間およそ34億食が消費され、およそ620種類あるカップラーメンの中から、2004年度上半期の売れ筋商品の中から20品を選び、これを3人の宮廷料理人に食べてもらった。
中国政府が国賓を招く際に使う「百年翰林府(バイネンハンリンフゥ)」の総料理長、カージァンフゥ氏、中国全土で数人しかいない「高級厨師」の称号を持つスーシールン氏、特級レストランの総料理長、リーシャン氏に食べてもらい、選ばれたのが「カップヌードル シーフードヌードル」だった。

ボクの個人的なランクは、1位しょうゆ味、2位シーフード味、3位カレー味といったところでしょうか?
どちらかと言えば、カップヌードルよりも同社のカップ焼きそばUFOのほうが好きではありますが・・・。

カップヌードルは、これからも世界中で、宇宙でも食べられる定番商品なのでしょうね。

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